定年退職をして時間の流れがゆっくりになりました。ぽっかり空いた自由時間に先ずしたことは、テレビの前に座り、情報番組をみることでした。世の中いろんな事があるものだと、感心することしきり。と同事に自分の無知さ加減にゲンナリしました。
テレビの前に座ってばかりいるのにも飽きてきた頃、不登校経験者の息子に言われたんです。
「母さんはこの先30年近く生きてるだろうから、まだまだ勉強できるやない」
それもそうだな、もっともっと知りたいことがあるし、せっかく時間があるのなら、やり残した勉強をしようと思い立ちました。そこで思いついたのが、“高校数学”をやり直そう、いえ、なおすのではなくやり始めようということでした。
“高校数学”を始めるにあたって“中学数学”の復習を始めました。有難いことに、小学校の学習内容は分かっていますので、ここはスムーズに行ったのですが、やはり“高校数学”を始めると中々次に進めません。
その時ハタと気がついたんです。「わたし数学の課題がこなせなくて不登校だったんだ」
やってもやっても片付かない課題にうんざりし、目が腐るほど寝てみたい、読みたい本がある、思いっきり走りたいと思いました。で、ある日から高校へは朝起きた時の気分で、行ったり行かなかったりの生活になりました。
当時、学校を休むには理由が必要で、それももっともらしいものが必要でしたので、病気になるのが一番手っ取り早いと考え、「頭が痛い」「気分が悪い」ということにしました。でもそういう事にしていると、本当に頭が痛くなったり、気分が悪くなりました。学校をさぼっているという罪悪感から来るものだったのかもしれません。
当時誰も「イヤなら無理に行かなくてもいいんだよ」とは言ってくれなかったし、自分がかってに「学校は行くものなり」と決めつけていただけでした。有難かったのは、家族が誰もわたしを非難しなかったこと、特に母親は、私が「大学には行きたい」と言いだしたときそのまま受け入れてくれたこと。
高校の担任の先生の対応にも救われました。進路相談のとき母親がおずおずと
「こんな成績でこの大学を受験してもいいものでしょうか」
先生曰く
「受けるのは自由ですから」
親元を離れ、大学の寮生活の自由で楽しかったこと!寮には地方出身者ばかり集まりますから、個性的なキャラクターの持ち主ばかりいて、互いに刺激し合っていました。不登校で、家の中にいて、悶々としていた頃のわたしを知る人の居ない中での生活は、自分で自分を創作する喜びに溢れたものでした。
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